いくら焦げ付いたとしても、気を使わず金束子でゴシゴシ洗える鍋は手間がかかるけど楽だ。
テフロンの鍋は本当に優秀で、手間もかからないけどその分、焦げ付いた時には気を使う。
お前はユトリか、と思う。
僕は内弟子していた時に師匠の斡旋で飲食店で働いていた時の経験もあって、よく料理する。
師曰く、料理も舞台も段取りだ、との考えゆえ。
その店でも店長から「お前はバイトじゃない、修行だ」と言われとても厳しく丁寧に教えられた。
あまりにも厳しく丁寧に教えられたもので、絶対に一年勤めたら辞めてやると心に決め、連休もクリスマスも店にでた。
おかげでみるみる時給も上がったけど、結果、本当に一年で辞めた。
その後もちょくちょく店からヘルプの話が来たときには、やってやったぜ、と思った。
五反田の「デルフィーノ」今はない。
お蔭で料理することが苦にもなくなり、頭空っぽで専念する料理がストレス解消の一端になり、今もゴシゴシ鍋を洗っている。
テフロンも、面倒くさい優等生だけど、上手く付き合っている。
結局、好きでやってるんだな、これが。
今も時々その店のレシピのパスタやなんかを作る。
カレーは焦げ付くけど、ゴシゴシ洗えばいいし、洗えないやつは、違う付き合いをすればいい。今はとても感謝している。
2019年4月12日金曜日
2019年4月11日木曜日
教科書
人を教える時、教科書があればどんなに楽だろうか。
このページの問題があって、さぁ解いてみよう、考えてみよう。
正しい解があってそれを導く教示をする。
日本舞踊を教える時、初心者を教える時、毎回悩む。
せっかく月謝を払って来てくれているのだから、何か少しでも為になることを教えようと考えてしまう。
しかし、そもそもが日本舞踊教室で、踊りを習いに来てくるのだから、
日本舞踊だけ教えれば、そもそもそんなこと考えなくてもいいのだが、
日本舞踊には教科書はない。
流派やお稽古場によって違いはあるとは思うのだけれど、日本舞踊の習得には古典舞踊を何曲か稽古するしかない。
バレエや西洋の音楽と違って、いわゆる基礎練習がない。エチュードがない。
古典曲を習い続ける事によってのみ、基本の習得を可能にする。
教科書があればどんなに楽か。
はい、何ページの、ここの動きを今日はやりまーす。とか。
30歳から教え始めて、ようやく自分の教科書を築きつつあるが、それでも毎回悩む。
日本舞踊を通して伝えられるのは、何だろうか。
4月から新規の弟子を教え始めてるが、その方たちに日本舞踊を通して何かが残ればいいなと思っている。
教科書を作っている人はすごい。何から教えていいか分らない教師たちにも教科書だ。
そして教科書を使わず、教えられる人はすごい。
その分野では、その人自身が教科書であり、教えること、教えたいことがはっきりとある、金八とか。
もはや、教科書使って授業してないでしょ、あの人。
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